西洋占星術とは
西洋占星術は非常に長い歴史を持っています。世界各地にある占星術の起源をたどると古代バビロニアにたどり着くと言われますが、西洋占星術もその例外ではありません。
現代では自然科学の範疇から外されていますが、古代においては占星術も自然科学の一分野でした。西洋占星術には多くの著名人が関わっており、たとえばプトレマイオス、ティコブラーエ、ケプラーなどがいます。ケプラーは惑星の軌道計算で有名な科学者ですが、もともとは占星術師でもありました。
ケプラーはユニークな科学者で「天文学は賢い母だ。占星術は愚かなその娘だ。だが母親にとって生活費を稼いでくれる娘が必要だった」と述べています。ケプラーは西洋占星術を信用していましたが、それが世俗の為に使われていることが我慢ならなかったのかもしれません。
西洋占星術の現状とは
西洋占星術は天文学が発展するにつれて、徐々に自然科学の世界から切り離されていきます。天文学から完全に分離すると一時はかなり衰退しました。しかしその後、ケプラーの語ったような世俗的な要請もあったことから再び復活し、現代では世界中に広まりを見せています。世界中の各地に研究団体が設立され、現在でも盛んに交流活動をしています。一時期は衰退した西洋占星術ですが、現代においても根強いファンがいることから、占術としては高い信頼性を得ているとみても間違いではないでしょう。
西洋占星術の基本的な考え方
占星術とは「個人の誕生した瞬間の星の配置」を読み取ることにより、「個人の運命を予測する技術」ということになります。
西洋占星術では個人の生まれた瞬間の星の配置をホロスコープに写し取り、星の配置を分析することで、個人の運命を予測していきます。簡潔に言えば「星の配置が良ければ安定した運命となり、星の配置が悪ければ不安定な運命になる」というわけです。これはインド占星術、中国の占星術でもある四柱推命でもまったく同じ考え方なのです。
しかし占術に懐疑的な人はこう言うでしょう。「どうして星の配置から人の運命が読めるのだろうか?」と。
こうした問いに対して西洋の巨人であるパラケルスス(1493~1451)はこう述べています。「天とはすなわち人間であり、人間とはすなわち天である。すべての人間が一つの天であり、天はただ一人の人間なのだ」と。
パラケルススに言わせれば人間と宇宙は一連なりのものであり、この両者は切り離すことができない。いわば人間とは大宇宙を写し取った小宇宙なのだ、というわけです。私自身も30年近く占星術(四柱推命)を研究してきましたが、まったく同様な結論に達しました。人間は大宇宙を模した存在、まさに小宇宙といえるような存在でもあるのです。
西洋占星術の起源とは
西洋占星術に関する最古の記録は、西アジアのチグリス・ユーフラテス川の下流域に興ったバビロニア帝国のものだと言われています。この文明は紀元前3千年頃に存在し、世界最古の文明と言われるように、文学、天文学、法典の整備など、知の開けた文明国としての体制を整えていました。
占星術はその文明国の特権階級にあった神官たちによって研究され、常にそうであるように王朝体制の維持に利用されてきたようです(中国の四柱推命も同様です)。
バビロニア占星術が世界へ
現代の世界の占星術、西洋、インド、中国の四柱推命をみると、その構成内容は驚くほど似ています。太陽や月、木星、土星などの実在する天体を使いますし、また天球を12分割する手法も同じ。その他のトラインやコンジャンクションなどの技術や解釈の方法もかなり酷似しています。
それからすると、世界各地にある占星術の起源をバビロニアとするのは間違いないところでしょう。バビロニアでは黄道12宮を作り、そこに入る太陽、月、他の惑星の意味と作用を読み取る手法が開発されました。これが現代の占星術の基盤となっています。ただ現代占星術のように精緻なものではなく、もっと大雑把なものだったかもしれません。12星座も現代のようなものとは異なっていたと言います。
バビロニア文明の崩壊後、占星術はヨーロッパ、北アフリカに広がっていきました。紀元前3世紀ごろになるとギリシャに伝えられます。それ以前から哲学や自然科学の盛んであったこの地は、占星術の発展にはかかせない場所となりました。知的好奇心の強いギリシャ人たちは占星術に興味を持ち、その歴史に新たな展開を加えていきました。
ギリシャで発展した西洋占星術
ギリシャにおいて西洋占星術は主に個人の運命を占う占術として発展し、それまでには無かった精緻な理論を整備していきます。ホロスコープという言葉はギリシャ語の「ホーロスコポス」を意味し、誕生時に東の地平線を上昇していた宮のことを指します。
この上昇宮から12のハウスが分割されます。ハウスとは室のことで、つまり星の宿る部屋という意味です。12のハウスにはそれぞれの意味があり、そこに入った星の意味を解釈することから占星術は成立しています。古代バビロニア起源の占星術にハウスシステムを加え、現代の占星術の原型を作り出したのがギリシャ人だったのです。
西洋占星術の体系化
ギリシャの歴史の中でも紀元2世紀に出現した天文学、数学、地理学に精通していたプトレマイオス(英語名トレミー)は、西洋占星術の古典テキストとも言われる『テトラビブロス』を著し、西洋占星術の基礎を体系化します。
しかしその後は大きな発展はなく、またキリスト教などの宗教の時代が始まった為に西洋占星術も迷信とし弾圧され、それ以降の発展はありませんでした。西洋において占星術が再び脚光を浴びるのは、芸術などでギリシャ文化が復興を遂げるルネサンス期以降となります。
西洋占星術の復興期とは
西洋占星術は16世紀から17世紀になり復興を遂げます。日本では予言者として名高いフランスのノストラダムス(1503ー1566)や、イギリスのウイリアム・リリー(1602ー1681)が出現して再び脚光を浴びます。近代においてはイギリスの神智学者でもあるアラン・レオ(1860ー1917)が大著を著して占星学を現代流に再編しました。この流れは現代においても盛んにおこなわれ、世界中に西洋占星術の愛好家を生み出し、活発に研究が続けられています。