現代四柱推命の歴史とは
干支暦を使い、個人の運命を予測する占術として成立したのが、紀元前3世紀頃と言われています。珞?子(らくろくし)の書いた『元理消息賦』が最古の文献と言われています。その後、宋代(10~13世紀)になって徐大升(徐子平)が出て『淵海子平』を著し、現代的な四柱推命の基礎を築きます。
さらに明代(14~17世紀)には劉伯温の『滴天髄』、萬英民の『三命通檜』が著されて、現代四柱推命の体系が整います。
四柱推命を本格的に学びたい人は、日本の一般的な四柱推命を学ぶよりも、中国の古典や原典を学ぶ方がはるかに上達するでしょう。ただ、こうした古典をいくら読み込んでも、四柱推命の全てをマスターできるわけではありません。反対に古典の教義を信奉するあまり、古典に振り回されて四柱推命の本質的なことが見えなくなることもあるので、注意が必要です。
事実、古典や原典を読み込んでいる人でも過度に用神ばかりを重視したり、大運の作用を疎かにしたり、あるいは地支蔵干の理論に固執して振り回されているのが現状なのです。私が発見した古典の決定的な間違いとしては、地支蔵干の過ちが挙げられるでしょう。
地支蔵干の過ちとは
たとえば、これは日本でも、古典でも広く使われている手法ですが、地支の中に「土性支」を入れる方法があります。ただ、これは根本的な間違いと言わざるをえません。そもそも天干にある土性を地支に持ち込む発想法じたいが過ちであり、この手法を使うと、時には大きな鑑定ミスにつながることがあります。これは干支の本質的な違いを理解しない作者が犯したミスでしょう。
また天干と地支をごちゃ混ぜにしている点も指摘しておきましょう。たとえば、天干の中に12運を出したり、地支の中に通変を出すのもおかしな点です。そもそも天干と地支はまったく異なるものであることを明確に理解する必要があります。
そうした点から言うと天干の中に12運を出すことはできませんし、地支の中に通変を出すことも出来ません。これらの干支は明確に区別するべきものなのですが、古典においてもこうしたあいまいな技術、手法が取られているのが今の四柱推命の現状なのです。
他にも古典では用神の解釈を優先させるあまり、大運や年運などの流運の内容をかなり軽視している部分があります。不思議ですが古典に精通すればするほど、実際に見る命式や大運が生じる現象を、現実として正しく解釈できなくなる場合が多々あるのです。
これを前提にすると、「四柱推命はまだ未完成である」「四柱推命はまだ完成途上である」ということにもなるでしょう。実際に私が発見した古典の様々な過ちや誤解が多数ありますし、また古典でもほとんど書かれていない未知の法則や未解明の技術を私自身が多数発見しているので、あまり過度に古典を信奉するのはお奨めできません。
これから四柱推命を学ぶ人は古典ばかりを過信することなく、しかしこれに基礎を据えながらも、常に疑いの心と合理性をもって、現実的に見る運命現象と古典にある法則や技術を常に検証しながら、四柱推命の研究を進めていく必要があるでしょう。
こうした過程において古典の中にある様々な過ちは修正され、さらに新たな未知の法則が発見されることで、四柱推命はますます進展・研鑽されていくものです。こうした積み重ねにより四柱推命は「占いの王様」としての地位をますます固めていくことができるのかもしれません。
では次回の教室3へ続きます。