八島高明の風水教室4

陽宅風水とは何か

陽宅風水の全体像をみると、もともと地理をみる「陰宅風水」がベースとして形成された後、そこに「易学」や「奇門遁甲」の方位の知識を組み込み、個人の住宅の吉凶を判定する占い的な手法にうまくまとめていることが見えて来ます。

 

ただ陽宅風水はあまりにも占い的なものに流れてしまったために、風水の本来の自然学的な思考を忘れ、本来のものとはだいぶ異なるものになってしまった感があります。現在においては様々な陽宅風水の流派、また日本においては古来の家相を加えた流派が乱立し、その主張するところもだいぶ異なるところが多いのも事実なのです。

 

風水占いに対する疑問とは

たとえば陽宅風水がよく使う方法として、方位の吉凶を決める根拠となるものに「本命卦」というものがあります。これはその人の「生まれ年」から方位の吉凶を出すのですが、命理=四柱推命を理解する人には個人の生年のみを使って方位の吉凶を決める「本命卦」という考え方は、とうてい理解できないものがあります。

 

四柱推命では生年以外にも生月、生日、生時という4つの要素があり、生年のみでは個人全体の情報の四分の一しか把握できません。言い換えれば、「同じ年に生まれた人はすべて同じ運命」ということになるのです。そうした生年だけを使って方位の吉凶を定めるという方法に大きな疑問があります。陽宅風水を信奉する人たちは、その疑問点を明快に説明する必要があるのではないでしょうか。

 

角度の取り方に対する疑問

さらに空間の方位の取り方にも疑問があります。空間の方位を取る際には一つの方位を「30度」としたり、あるいは「45度」にしたり、あるいはその混合にしたりと余りにも統一性がありません。また周囲360度の空間を「24方位」にしたり、あるいは「12方位」にしたりという違いもあります。こうした統一性の無さも、風水占いを混乱させる大きな原因となっています。

 

家の中に太極はあるのか

陽宅風水占いの最大の疑問点は、以下にあります。たとえば陽宅風水では家の中心を「太極」とし、そこから周囲の空間を8つの方位に分割して方位の吉凶を判断します。ここに最大の疑問が出てきます。

 

そもそも方位学として発展してきた「奇門遁甲」を考えると、もともとは集団を統率する兵学として使われたものであること、そしてそれは人間のいる場所を中心に据えて方位の吉凶を判断する技術である、ということです。

 

それは簡潔に言えば人間原理の内部(霊的な部分)に存在する精密な構造に由来するものであり、それを考慮すると、果たして生物ではない家の内部に同じような方位の原理が存在するのか、ということです。私はこれに対する明快な説明を今まで聞いたことがありません。

 

他にも様々な疑問がありますが、それはこれからの歴史的な検証によってその真偽が判明していくことでしょう。やはり占術としての陽宅風水は数百年程度と歴史が浅いこともあり、その内容をみると玉石混交という面もあり、私にとってはまだまだ信用に値するものではないと考えています。最後になりますが、私の風水占いに対する見解を以下にまとめてみましょう。

 

1)風水というものを考えるとき、本来的には自然学的な環境工学として発生したものであること。そこからそうした陰宅風水の思想を個人の住宅の内部にまで応用できるのか、という点をまずは考慮するべきでしょう。

 

2)さらに奇門遁甲でいうような「方位効果」というものは、私の経験から言っても確かに実在するものですが、それは人間の「霊的な原理構造」に基づくものであること。またそれは空間を長距離移動することで効果を発揮するものであること、それを考えるとわずか10Mも移動しない家の内部において果たして方位効果というものが発生するのか、と言わねばならないのです。そもそも家の中心に本当に「太極」が存在するのかということです。

 

3)私はこれまで「風水占いが当たった」という人を何度も検証しましたが、一度も風水占いの効果によるものという確信を持ったことがありません。私が検証した事例では、そのほとんどが四柱推命の運気の変化で説明のつくものでした。要するに今年の運気と来年の運気がガラリと変化することがありますが、「風水占いが当たった」という人の主張は、これで多くが説明のつくものだったのです。

 

ただ、私はその風水占いの思想を信奉している人たちを否定するつもりはありません。そもそも占術界じたいが玉石混交の世界であること、そして宗教や科学でさえも絶対的なものではないことを考えると、誰もこうしたものを完全に否定することはできないからです。結局、こうした真偽は最後は自分自身でつかむものなのでしょう。

 

(八島高明の風水教室 了)

 

 

2021年10月22日