八島高明の四柱推命教室1

四柱推命とはその名のごとく、四柱と呼ばれる「年柱」「月柱」「日柱」「時柱」の4つの時間軸を使用して、個人の運命を予測する占術(実際には統計・深層心理学)です。

 

ただ「四柱推命」という名称は日本で独自に作られた名称であり、本場の中国では「命理」「子平」「八字」と呼ばれるようです。さて、呼称はともかくとして、四柱推命は占断システムとしては生年月日、生誕時間、生誕地の情報を使用することから、大分類としては「占星術」というジャンルに入るでしょう。

 

四柱推命で何がわかるのか

四柱推命で読めるのは個人の性格、才能、能力、適性、気質、体質、恋愛傾向、対人傾向、他人との相性などです。また大運と呼ばれる、他の占星術には存在しない優れた「運気の変化予測技術」があります。この大運の技術を使用すれば、その個人の運命の変化を詳細かつ正確に知ることができます。

 

四柱推命は的中率が非常に高いために、よく「占いの王様」とも言われます。ただ解釈が難解であるため、初心者が独学で習得するのは難しいという難点があります。またプロの鑑定師であっても、亜流の技術である「空亡」や「特殊星」などを使用していれば、大きな鑑定ミスを避けることはできません。

 

四柱推命の正しい鑑定法とは

実際、日本で使われている四柱推命の多くは亜流の技術である「空亡」「特殊星」を使用した解釈が一般的に行われており、これが四柱推命の信頼性を低下させています。

 

このような信頼性の低い技術レベルを用いては、高い的中率を出すことはできません。ちなみに四柱推命の本場ともいえる台湾や香港の鑑定では、この空亡や特殊星を使わず、用神や干支に比重を置いた古典的な解釈が一般的です。事実、四柱推命の古典にも「空亡や特殊星(神殺)は迷信である」と書かれているのです。簡潔に言えば、空亡や特殊星を採用している日本の四柱推命はまだまだ低レベルにある、と言っても過言ではありません。

 

四柱推命の起源と歴史について

四柱推命の起源は古代中国へとさかのぼります。四柱推命では「干支暦」と呼ばれる暦を使用しますが、その干支暦が作成されたのが殷の時代(紀元前17世紀~紀元前11世紀頃)と言われるので、この干支暦の歴史までさかのぼると、四柱推命には3千年以上の歴史があるということになります。

 

日本に最初に四柱推命が入ってきたのは、江戸時代の医学者・儒学者である桜田虎門という人物が翻訳した書物が始まりとされます。ですから歴史としてはまだ短いと言わざるを得ません。こうした歴史の浅さが空亡や特殊星などの使用を許しているのかもしれません。この翻訳書から日本全国に四柱推命が広がり、現在に至ります。

 

四柱推命の干支暦とは何か

四柱推命の根幹を成すもの、それが干支暦です。ではこの干支暦はどのようにして作られたのでしょうか。まず、古代の中国は世界的にみても天文観測が非常に発達していた、ということを考慮する必要があるでしょう。

 

そこからすると、実際の星の運行を計算して、独自の干支暦を構造化したと思われます。四柱推命は他の占星術のように直接、天空にある星々の配置を計算するのではなく、10種の天干と12種の地支を合わせて計算していきます。

 

この干支暦の信ぴょう性について西洋占星術の立場から批判する人もいますが、実際の信ぴょう性というのは四柱推命に熟達し、さらに長年の統計的な側面からの検証を得てからしか言えないものです。

 

事実、私が30年にわたり検証してきた干支暦の信ぴょう性については、もはや疑うことができいないほどの正確さを持っていますし、またそれを基にして計算した運気の変化の予測などにおいても、非常に正確かつ精緻なので、その背景には「確かな実在」があると言わざるをえません。

 

こうした現実から干支暦的な背景をもつ占星学的な影響があることは確実なものであり、またそれを実際に使用して、未来を推測し的中させることにより、それが実在の証明にもなりうるのでしょう。四柱推命が西洋占星術を凌いで「占いの王様」とまで言われるのは、それが信用するに値するものであることを、多くの人が自身の体験から感じているからとも言えるのです。

 

→八島高明の四柱推命教室2へ続く

 

2021年11月18日