八島高明の姓名判断教室3

十干は人工的には作れない

東洋に起源を持つ気功法や鍼灸、東洋医学、占術、暦など、十干を包含する易体系の影響は東洋思想全般に見ることができます。その中核をなすのが『易経』ですが、その発想法自体は自然学的な物から出ているものであり、それは時間や空間を支配するものとも言えるでしょう。

 

ですから、その一部ともいえる十干を取り出して加工することはできませんし、修正したり、新たに作り出したりすることもできません。ということは、人工的に形成された名前の中にある画数の中にこの十干を入れることもできない、ということになるでしょう。そこに霊数なるものへの大いなる疑問がわくのはごく自然なことでしょう。こうした十干を含む陰陽五行理論を詳しく学びたい人は、四柱推命などの干支の力学を学ぶことをお奨めしています。

 

姓名に秘められた意味とは

では「名前の中に秘められた作用は全く存在しないのか」ということですが、現在の私の考えでは名前の画数ではなく、名前の音、つまり呼び音のバイブレーションに何らかの秘密があると考えています。たとえば赤ちゃんを観察してもわかりますが、人間は文字以前に言葉としての「音」を先に発出するのです。つまり音が文字よりも先に存在しているのです。

 

文字というのはあくまでもその音を残すために、人工的に作られたものです。ところが音はそうではありません。音は文字と違い、十干と同じように自然が生み出したものなのです。

音は真言(マントラ)や言霊(ことだま)ともいわれるように、ある種の波動をもつ実在のエネルギーでもあります。たとえばこの音が自然学的な力の作用を持つことは、人が音楽を聴いて感動するという自然現象をみても理解できるでしょう。

 

音は自然学的な存在である

音楽は実に多種多様なイメージを形成することができます。「喜び」「悲しみ」「苦しみ」「楽しみ」「希望」など、無限のイメージを作りだすことができます。それは理屈ではありませんし、思考で理解できるものでもありません。なぜ音楽を聴いて人が感動するのか、本当のところは誰にもわからないのです。

 

音は理屈では割り切れません。また文字のように人工的に作り出したものでもありません。ある宗教の教義では音は「宇宙創造」の原理としてとらえられています。こうして考えると、確かに音にはある種の霊力のようなものが宿っている、というのは否定できません。ですから人の名前を呼ぶときに、その発した音のバイブレーションが届いた人に何らかの影響を与える、というのは十分にあり得るのです。

 

音に秘められた可能性とは

たとえばその音のバイブレーションがその人自身のもつ波長と合わない、ということもあるでしょう。そうした場合はその人の運気を弱めるということも考えられますし、その反対に波長がピタリと合っている場合は逆に運気を強めるということもあり得るのです。

 

ただそうした原理を発見し実用化されるまでには時間がかかるでしょう。現在の段階で言えることは、画数のみを重視する姓名判断を過信して誰にも読めないような名前を付けたり、あるいは本人のイメージと合わない変な名前を付けたりするよりも、読みやすく、呼びやすく、また誰からも親しみを持ってもらえるような名前を付けたほうが良いと私は思うのです。さて、皆さんはどう思いますか。

姓名判断(了)

2021年02月13日